マレバンズックと呼ぶ沼地であったが、三国史記に出る宮南池で推定されている。「三国史記」百済本紀第5武王条に「穿池於宮南引水二十里西岸植以楊柳水中築島嶼擬方丈仙山」という記錄を參照にして宮南池だと呼んでいる。
現在の池は 1965∼67年に修復したことで、元々自然沼地の1/3位の規模である。
この遺跡に対して扶餘文化財研究所で90∼93、97年に試掘及び発掘調査をしたが、周辺で水田遺跡が出て水路と係った遺跡が池の中で確認された。またこちらで百済時代木幹と鳥の頭模様の彫刻を含めて土器,
軒丸瓦などが出た。
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