扶蘇山の南側の三忠祠の裏手で三つの切れに割れたまま放置されていたものを、その場に碑閣を建て復元しておいて、解放後に国立扶餘博物館に移し保存してきた。 現在は風雨に晒され、字を判読しにくい。
この碑は新羅․唐の連合軍が百済を侵攻する時、唐の将軍である蘇定方と同じように遠征軍と百済流民の復興運動まで無産させた唐将である劉仁願の功績を記錄したこととして、663年に建てられた戦功碑である。
碑文の中には義慈王と太子及び佐平以下700人余りが蘇定方によって唐の国に押送された事実と流民勢力である福信と王子の豊を平定した復興運動関係の重要内容、そして完全に廃墟された都城の様子等、当時の状況がよく記錄されている。
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